彼を初めて見たのは私が高校1年生の時だった。
端正な顔立ちに加え爽やかさがプラスされていて、これは多くのファンがいるのだろうなと一瞬で感じた。
名門校で堂々とプレーしているその背中には背番号5をつけている。
甲子園でも話題独占していた。
彼の名は、原 辰徳、現在巨人の監督である。
1年生であんなプレーが出来るんだな〜俺なんかまだまだやんかあ〜この差は何やろうと考えたが田舎にいた俺は対比する
選手もいなくわからなかった。
井の中の蛙、とはこの事で全国には凄い選手がたくさんいると言うことを教えてくれた。
私も僭越ながら1年生でレギュラーとして原と同じサードで高校野球デビューしていたがその差は大きく開いている事を感じてしまう。
甲子園で活躍したチームは全国から招待試合に呼ばれる。
東海大相模もその一つで私の住んでいる山口県に来るらしいと言う情報が飛び込んできた。
これは絶対見に行きたい、全国レベルを肌で感じたい、そして原との差はなんなのかを間近で知りたかったのだ。
山口県の新南陽市にある球場で試合は行われる。
相手は南陽工業、なんで俺たちやないんや〜
球場付近になると異様な雰囲気、人だかりが出来ていてなんの騒ぎ?
なんと球場に入れない人たちが溢れかえっていたのだ。
山口県にこんな人がたくさんいたんや、と感じるくらい。
入れるやろう、見れるやろ〜とたかを括っていたことに後悔、人気は想像以上だったのと黄色い歓声が響きなんともヤキモチ!
残念すぎる気持ちを引き摺りながら帰ったのを今でも覚えている。
彼が3年の高校野球生活を終え進路話が新聞の話題を独占している。
私の家にはプロのスカウトが挨拶にきてくれたり、大学からの誘いもあったが幼い頃からの夢であったプロしか頭にない。
しかし考えが一変する記事が飛び込んでくる。
原 辰徳は大学進学してプロを目指します、とのことだった。
あの原が?
すぐにでもプロで通用しそうな原が?
私も考えた!
焦ることはない、自分に自信があれば大学に行ってもプロになれる、このままプロにドラフトされても下位指名に過ぎない。
よーし大学で勝負してやる!
中央大学に進学、彼は東海大学に進学した。
大学3年の時初めて会うことが叶ったのは大学のオールジャパン!
一緒に食事や酒を飲んだ。
すっかり打ち解けいろんな話を聞いたが、印象に残ってるのは、原 辰徳でいることは疲れると言うことだった。
こちらかすると注目され人気もあり、などと考えていたがプライベートも何もないと教えてくれた。
立ち振る舞いや話し方はすでにスターだったが、我々には気さくでとても感じの良い人柄で安心した。
同じチームでプレーすることに嬉しさを感じながら、この男に勝るものは何なのか?
そんな事を考えながらプレーしていた。
お互い同じドラフトでプロ入りする。
彼は皆さんも知ってのとおり巨人のドラフト1位、私は大洋のドラフト3位、何でやねんスカウトはどこ見てるんやと腹が立つ次第だ!
パワー長打力とマスク、人気は負けても他では勝ってみせる、とプロ入り後のインタビューで答えたのを覚えているが嘘つきにはなりたくない。
打率、盗塁、守備、走塁などを意識して練習しそこそこの成績と結果を残す事ができたが野球の華はホームラン!
彼の生まれ持ってのスター性や人気と華やかさには最後まで追いつく事ができなかった。
彼とは生き方が違うがそれぞれ野球という仕事で今でも繋がっている。
野球を通じて知り合ったライバル。
勝手に私がライバルだと思っているだけだが、彼が輝いている事、野球というスポーツに今は凄く感謝している。
最後まで読んでくれて、ありがとう!
豊さんのYouTubeを見て原監督との仲の良さが感じられますね!
同じ時代に生まれ、同じ競技をして
共に切磋琢磨してプロという舞台まで登り詰め、戦い尊敬し合えるライバルと出会えたこと本当に素敵な巡り合わせですね。
高校生の頃からスターの重責を担い走り続け、休む間もなくコーチ・監督という立場に立ちジャイアンツという大看板の大将としても結果を残し続けている原監督が改めて偉大な野球人であることを実感します。
もちろん走塁、守備、打撃でプロ野球選手としての実績も、コーチとしてベイスターズ、日本代表の選手たちを支えきた功績も原監督に劣らず語り継がれるべきものだと思います。
そしてYouTubeやSNSを通して多くの人に野球の魅力や現状、未来を伝える姿も野球人として偉大な行動です。
これからも面白く楽しく、為になる野球話よろしくお願いします♪
いつも有り難う!